形の意図
人間が生み出す形と、自然の中で生まれた形との違いは、「意図」の有無にあるような気がします。
自然の形は、物理法則や化学反応、生物の進化といった必然的な原理が、偶然の要素(風の吹き方、雨の降り方、光の当たり方など)と結びついて生まれます。
一方で、人間が作り出す形は、必ず何らかの意図や目的を持っています。それは、機能性を追求した道具や建築物であったり、感情や思想を表現するための芸術作品であったりします。人間は、自分の頭の中にあるアイデアやイメージを、形として具現化しようとします。そのため、そこには目的、論理、思考の跡が見て取れます。
つまり、自然が生む形は「どうしてこうなったのか」という物語が背景にあり、人間が生む形は「なぜこう作ったのか」というプロセスが背景にあるのです。この違いが、それぞれの形の大きな魅力になっていると思います。
でも、そうじゃなかったら?
さらに面白いのは、もしそうじゃなかったらと考えることです。
自然に生まれた形に、大いなる存在による何かしらの意図があったとしたら?
人間が、意図を排除して、全く無の感情で、ぐちゃぐちゃと鉛筆で書いた形は自然の形?
区別できたはずの形の境界が曖昧になります。こういう所にこそ形というものの面白さがあるような気がするのです。